過程的なノート

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日常的にもう少しマスクを着用することについて考えてみる

パンデミックになり、マスクを着用することが、日常の光景のうちとなった。パンデミック以前に日常的にマスクをしている人がいると、特殊な嗜好のように感じていた。

Covid-19による感染症の拡大の影響が大きくなる以前、日常的にマスクをすることはなかった。普段の生活では、マスクをすることは特別なことであった。マスクをするのは風邪をひいたりした特別な場合だった。風邪をひいてもいないのに予防的にマスクをするようなことはしなかった。

この2年余の間、マスクを着用することが日常化した。人混みの中ではマスクを着用することがエチケットのように感じられる程となった。マスクを着用したままでも、咳をすることが気まづいことのように感じた。同じような経験がある者は少なくなかろう。咳をしたときの落ち着きの悪さを経験したことはないだろうか。

私にとってパンデミック下、普段からマスクをしているという経験は、それ以前に風邪をひいた時にマスクを着用した総数を軽く上回るものとなったことだろう。ほとんどの者がそうなのではないかと想像する。

マスクを着用することで感染リスクを低減できるのなら、機会費用はそれ程高くないだろう。もちろん個人差はあるだろうし、環境や条件の違いによって変わりうることである。

個人において、それぞれが日常的にマスクを着用するという経験をしてきた。この経験は大きなことだろう。マスクの種類が増えて、ファッション性を考えることも出来るようになった。これは一例であるが、経験が大きいことの証左といえよう。


今一度、マスクを着用することで感染リスクを少しでも低減しようという行為の便益について、積極的に評価することは悪くないように思う。

用心の為に、少し様子見をするという意味を加味して、人混みの中では注意して、マスクを着用することを積極的に評価してみても良いのではないか。個人がこの2年余の間にマスクを着用してきたという経験はそんなに小さなものではないはずだ。



〈参考〉

マスク着用緩和巡り岸田首相揺れる 野党議員「統一見解を」(カナロコ by 神奈川新聞)

https://news.yahoo.co.jp/articles/b37a955c72d9aaa1d72d80a6c6fef5ef89aee051