過程的なノート

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「専門家について考えるためのメモ」

池田信夫さんのつぶやきをみて、専門家について少し考えました。そこで少し専門家について考えるためのメモをつくりました。

「3.11」がおきたことで、専門家の信用が揺らぐことがありました。そして、最近の日本社会では、反知性主義について述べる機会が増えているようです。


〈引用〉<<<<<<<<<<

https://twitter.com/ikedanob/status/680870122534367232?refsrc=email&s=11


池田信夫 (@ikedanob)
2015/12/27 6:57
経済学なんて学問としてはチャチなものだから、必要なのは優秀な頭脳より政治家にプレゼンする表現力。竹中さんはその点で一流だったが、吉川さんはまじめすぎてダメ。伊藤さんは完全な茶坊主。 @Light_Rail

池田さんのつぶやきをみて、ちょっとびっくりする意見であると感じるとともに、あいかわずの池田さんなら、池田さんの作風と思います。
ところで、私は経済学を学んだもののひとりです。経済学が決して万能であるとは思いませんが、経済学という領域の可能性を信じているものでもあります。そして、経済学が特権的な学問であろうとすることを許すわけではありません。
しかしながら、専門家がその専門性を磨くことがとても大切で、専門領域はそうすることで、社会に貢献できると考えます。
そのために、私の意見を少し述べさせてもらいます。

経済学者としての専門家の信用をどう考えるかは、とても重要でしょう。専門家とは、専門家として認められることや、その専門的な知識が技能や技術があるとみなされている人のことです。

で、この池田さんの見立ては正しいかもしれません。しかし、先の述べたことを踏まえた上でなければ、池田さんの意見は、経済学者としての池田さんに疑問を持つこともありえよう。

ここで、専門家を考える上でのたとえ話をします。
AさんとBさんという二人の経済学者がいます。
Aさんは、大学で経済学を教えています。Bさんは、今も大学で経済学を教えていますが、民間のシンクタンクで理事を引き受けています。
Aさんは、経済学者として以前のように研究を続け、意見を述べつづけています。Bさんも以前と同じように経済学者として意見を述べつづけていますが、新たに理事を務めることになったシンクタンクの利害に関わる意見を述べるようになりました。
Aさんの意見には、いろいろな批判があります。しかし、Aさんが経済学者であることを疑う人はあまりいません。
Bさんの意見にもいろいろな批判があります。しかし、以前と同じようにBさんが経済学者であることには変わりがありませんが、純粋に経済学者として意見を述べていないことがあるのではないかと思う人が増えました。

こういった、たとえ話がしめすことは、経済学者や他の分野の専門家は何を専門としているか考える上で、示唆を与えるのではないかと思います。